標高555mの朝熊ヶ岳(通称、朝熊山:あさまやま)は伊勢志摩地方の最高峰であり825年(天長2年)には空海が金剛證寺を建立したと伝えられる。1392年(明徳3年)には建長寺の東岳文昱(とうがくぶんいく)が金剛證寺の再興に尽力したため真言宗から臨済宗に改宗された。
金剛證寺は古くより山岳信仰の対象であり、室町時代には神仏習合から伊勢神宮の鬼門を守る寺として伊勢信仰と結びついたとされる。さらに江戸期には「お伊勢参らば朝熊をかけよ 朝熊かけねば片参り」と伊勢音頭の一節にも唄われたように伊勢神宮への参宮の後に金剛證寺にお参りするのが良いとされ当時はかなり賑わったそうだ。また伊勢・鳥羽・志摩の一部では今でも「岳参り」と称して宗派を問わず葬儀の後には同寺奥の院に塔婆を立て供養する風習が残っている。
そのため金剛證寺のある朝熊山へは多数の参詣道が作られ、今ではその一部が登山道として整備されている。かつての参詣道としては内宮宇治橋南詰付近から登る「宇治岳道」、楠部町尾崎からの「楠部岳道」、朝熊町からの「朝熊(村)岳道」、一宇田からの「一宇田岳道」、鳥羽市堅神からの「堅神岳道」、志摩磯部の五知からの「五知(磯部)岳道」がある。
なかでも距離標である町石(一丁=約109m)が整備されているルートは「宇治岳道」「朝熊(村)岳道」「五知(磯部)岳道」「堅神岳道」である。